国産工具のまとめも、との事で。
片付けの序だからいいんだけど、重い工具箱をえっちらおっちらして写真を撮るのが大変。
だからくどいけど、使うのが小さく軽くの普段使い箱ばかりになるんだよな。
小さい軽い箱が二つの方が使い勝手が良いかも。
国産の箱は特に面白くもないからさらっと、と思ったんだけど、むしろ工具箱の方が面白かった。
写真は適当に撮っただけで荒いけど、ま、いいか。
物は学生の頃に買ったKTCの箱セット。
AIGOやSUNKI、VESSEL、980円ソケットセット等のホームセンターで買える工具だけじゃ少し物
足りなくなり、名の知れたメーカー品の一揃いを購入した。
正月の特価で、それでも学生にはそこそこいい値段だったんだよな。
収納量に余裕がなくて、元のセットに他の工具が少し混じってる位。
左右開きのスチールケースで左右二段、底一段の箱。
構成はKTCの量販工具で、スパナ、メガネ、ドライバー、ソケットセット、ドライバー、ハンマー、
ペンチ、モンキーなどがプラトレイに収まってる物だった。
そのままじゃ他の物が入れられないのでプラトレイは直ぐに撤去。
先の方で書いた前から使ってた他の工具なども隙間に入れて、綺麗に工具がまとまった。
セットの構成としては、レンチがスパナとメガネのセットになっているのと六角が全く無いのが最近
の工具セットと違うところかも。
最近のセット物なら、レンチはコンビで六角が何かしら入ってる事が多いかと。
レンチがスパナとメガネに分かれているのは便利といえば便利。
好みでは、主要サイズがコンビで揃ってて小さめのサイズでスパナ、大きめのサイズでメガネ
が揃ってる様なのが好きだが。
中身は、右の段からコーケンのソケットセットやセットのハンドル、次の段がセットのスパナとメ
ガネ。
昔はここに前に出たAIGOやSANKIのメガネやコンビも入れてた。
下段はセットのハンマーやペンチ、モンキー等。
プライヤは収まらず右上の所に入ってるな。
他にギアプラーやアルミハンマー等の大きい物も突っ込んである。
その左の段はドライバーで、セットの貫通、ANNEXやVESSELの木柄や貫通等も入ってる。
この頃持っていたのは貫通のドライバーばかりかも。
一番左はセットのソケット駒とそのハンドル類。
他にはコーケンのTレン、トネのスパナ、何処かの1/4ソケットセットあたりが当時の国産工具の
一式だったと思う。
買った当時の使い勝手としては、ソケットがやはり段違い。
当時のホームセンターの980円セットとの比較じゃ当然だけど、駒は良いしハンドルは良いし。
ガタは出ないしハンドルもしっかりしてるし、メッキは剥がれないし駒の口が開いたりしないしw。
980円セットが悪すぎただけで、他のJIS規格製品を使っていればそんなに極端でもなかったんだ
ろうけど。
ただラチェットハンドルの頭は大きい小判型で狭い所では使い難く、そこだけはホムセンハンドル
の丸形が良かった。
それが後に、まともな丸形頭好きになったきっかけだったのかも。
ステッカー。
工具の話はこんなもん。
それより、改めて見てみた工具箱に貼ってあったステッカーが面白かった。
88年前後あたりのレース関連のステッカーが色々と。
最初のはホンダのディーラーで配ってた88年のF1ステッカー。
鈴鹿で、あの後方からの猛追でセナが勝って初チャンピオンを決定した年。
中島もキャメルロータスに乗ってたり亜久里の急な参戦が決まったり。
盛り沢山な年だった。
そうそうレース一覧を見てみると、この年はイタリアでのフェラーリの1勝以外は全部マクラーレン
の勝ちだったんだよな。
イタリアのみ、エンツォ追悼でベルガーが勝って。
見に行ってたんですよね、この年の鈴鹿F1。
三重でホテルなんかまともに取れないから名古屋宿泊だったんだけど、名古屋でも大変なレベ
ルだったし。
バブル期なのもあって鈴鹿も派手だったな。
場内は主要チームカラーは勿論多かったけど、ベネトンやレイトンカラーも多かった。
レイトンブルーのジャンパーやビニール袋などは随分目立ってた。
そうそう、カペリが本戦で派手な活躍を見せてレースでも目立ってたんだった。
次は筑波と88年のインターテック。
富士のレイアウトが今とかなり違うな。
当時は30度バンクなんかは放置されてて、Cパドックに向かう方は田舎の山道みたいだったもん。
Aパドック下のモトクロスコースも、火山灰ザクザクの富士の演習場みたいだったし。
筑波もショートカット部分は今はもう違うんだったっけ。
箱のレースも結構盛んだったな。
Gr.Aの盛り上がりだともう少し前だったけど、全日本のツーリングカーとしては良い盛り上がり
だったかと。
シェラが強くてスカイラインはまだR31のGTSの頃か。
逆にグラチャンはこの頃に終わったんだっけ?。
グラチャンも、竹やり出っ歯の族車が集まるイベントとして変な盛り上がりはあったな。
翌年の89年にR32のGT-Rが復活。
出たばかりのほぼドノーマルのR32が関東ジムカーナフェスティバルに出場して、日本ランドのあ
の狭い上段でクルクル回って、当時A3常勝の森田名人を破ってA3優勝。
公式選の初優勝ってあれが最初じゃなかろうか?。
その前にダートラに出てた気がするけど勝てなかったはずだし。
89年の関東ジムカーナフェスティバルはR32の優勝も良かったけど、オクヤマS1-Dの走りを目の
前で見られたのも良かった。
筑波のステッカーは何を見に行った時に買ったんだっけかな?。
たぶん当時の筑波じゃ、地味めな草レースとか練習日とかでメジャーなレースじゃないと思う。
それにしても88年。
この年は7月に8耐にも行ってるし、10月にF1、11月にインターテックなんかにも行ってるのか。
他にも宮ケ瀬の全日本トライアルとかMCFAJの富士のモトクロスやエンデューロを見に行った
り、年間数戦の仲間内お遊びジムカーナなどもやってたから、えらくモータースポーツ熱が高い
年だったんだな。
その次は、丸和オートランド那須と89年世界GPの鈴鹿戦。
どうも丸和オートランド那須の記憶があまり無いw。
一度しか行った事もないと思うんだが。
たぶんツーリング兼で、全日本ダートラを見に行ったんだと思う。
当時のC3の争いで、モンスター田嶋が勝てなくてキャロッセが勝ったのをおぼろげに覚えている
様な。
思い出せない。
89年世界GPの鈴鹿戦、これはねぇ。
また盛り上がったレースだった。
でも二輪のGPは混み方はF1程じゃなく、予選の土曜日当日に志摩あたりの宿が取れたりもした
んだ。
友達と3人でまともに宿も予約せず、のんきなもんだったw。
レースの方も伝説レベルの内容だった。
なんといっても500㏄の予選ポールが平で決勝開始前から大盛り上がりだったし。
ただ3月で寒かったんだよな。
決勝はまた大盛り上がり。
125㏄はいつもだったけど混戦で、しかも上位はほとんど全日本組ばかり。
それでも優勝はジャノーラだったのか。
JJコバスとかアプリリアとか頑張っちゃってて、ホンダがテコ入れ始めてた時期だったっけか?。
2位から10位までは全員全日本組だw。
結局このあたりから125㏄の全日本のレベルが異常に高いのがはっきりして、その後の上田や
坂田なんかの125㏄チャンピオン量産になったんだよな。
250㏄も、清水、岡田、本間あたりがいくかと思ったらコシンスキーが・・・。
まったくねぇ。
500㏄本戦は流石に平は無理で、だけど歴史に残るようなシュワンツ、レイニーの争い。
500でカウルガツガツ当てる様なバトルでシュワンツはリア滑らせっぱなしで、ゴールの喜びよう
と言ったら。
当日家に帰ってから夜にまたTVで見て感動ひとしお。
同年のF1と並んで大当たりのレースでした。
この年もレース観戦は盛んだったけど、年に鈴鹿に二回三回とかよく行ってたもんだ。
最後は88年の第八回筑波バトルオブザツイン。
最後に草レース。
冬の閑散期の成人の日のレースで面白かった。
そうか、88年のレース観戦の始まりはこれだったのか。
何が勝ったんだかはさっぱり憶えてないな。
たぶんエキスパートは何処かのSRかSRX、BMかドカなのは間違いないと思うんだけどw。
FLATのBMは初回優勝なのは覚えてるんだけど、そんなに勝ってなかったかな。
何年か連続で見に行ってたのでごっちゃにもなってそう。
先の筑波のステッカーは、もしかしたらこの時に買ってたのかも。
レースは当時のメインの2stのロード、F3等の4st四発と違い、4stの単気筒二気筒だけなので排
気音が独特だった。
低音の響きは良いけど喧しさや忙しなさがなく、音が独特な少しのんびりした感じもあるレースで
好きだったな。
ただ最初の頃につるんで出かけてた面子のおっさん達がイカレてて・・・・。
若者チームも当時の250㏄や400㏄のレプリカなんかに乗ってて酷く遅いわけでもないのに、行
きの早朝のペースがねぇ・・・・。
以上、工具よりも工具箱に貼ってあったステッカーが面白くて、主にそちらの話になりました。